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昭和44年 723ページ 部数は少なそうです。資料用にもいかがでしょうか。
まえがき
村田大使のご遺稿「比島日記」を出版させていただくことになった。 本年は大使比島脱出旅行のときから二十五 年、ご逝去からは十三回忌の年にあたる。「後年他に迷惑が及ばなければ」と日記の一節に書かれているので、おみ るしはいただけるものと思う。
村田大使とは、もちろん、村田省蔵氏のこと。大阪商船社長として当時の日本海運界の大指導者であった。近衛内 閣の逓信、鉄道の両大臣を経て、東条内閣に乞はれて比島派遣軍最高顧問となり、コレヒドールもまだ落ちぬころマ ニラに乗り込まれ、比島独立後は、特命全権大使として、ラウレル政権の育成にあたられた。大使六十五歳から六十 八歳までの四年間であった。
昭和二十年一月、米軍リンガエン上陸、村田大使はラウレル大統領とともにバギオに移る。戦局さらに悪化して同 年三月、 ツゲガラオへ向ってルソン島従断十日間の難旅行、さらには、沖縄の戦況を見まもりつ二ヶ月にわたる台 北草山での待避生活、上海を経て福岡で故国の土を踏まれたのが六月九日、ラウレル一行を奈良ホテルにおくりとど 上京して大使を辞せられたのが八月一日、じつに、マニラ出発以来二百日を越す大旅行であった。八月十五日終 戦、九月十五日戦犯容疑で巣鴨に収容と、日記の後半は波瀾万丈の記録がついている。
この日記は村田省蔵氏在比四年のうち大使となられてからの二年間のものである。
村田省蔵
むらたしょうぞう
(1878―1957)
昭和期の実業家。東京に生まれ、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業。1900年(明治33)大阪商船に入社、同社で順次昇進し、専務取締役、副社長を歴任したのち、34年(昭和9)社長に就任した。36年日本船主協会会長に就任。準戦時体制下での海運自主統制を唱導し、翌37年には海運自治連盟を結成してその実現を指導した。39年に貴族院議員に勅選され、40年には第二次近衛(このえ)内閣に逓信(ていしん)兼鉄道大臣として入閣するなど、しだいに政治活動に入った。42年には南方軍最高顧問としてフィリピンに赴き、日本軍占領下の同国独立とともに43年特命全権大使となった。戦後、戦犯容疑で拘置されたが、47年(昭和22)釈放、51年追放解除。その後はフィリピン、中華人民共和国との国交回復に尽力した。
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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