エニウェトクの戦いと、それに関連したトラック島空襲では、スプルーアンスはトラック諸島内にいまだ有力艦船が多数残っていると考え、空襲後には外に出てくるだろうと推測し[21]、どうしても先頭を切って戦いたかった[21]スプルーアンスは、脱出してきた有力艦船との砲戦を念頭に、配属されたばかりの戦艦「ニュージャージー(USS New Jersey, BB-62)」を新たな第5艦隊旗艦にした[21]。スプルーアンスにとっては、前年11月時点での希望がかなった形となった[9]。トラックへの攻撃が終わるとマリアナ諸島へ一撃加えた第5艦隊は一旦マジュロに帰投し、つかの間の休息をとった。引き続いて3月から4月の間、第5艦隊はカロリン諸島西部を攻撃した。3月30日、31日に空母艦載機はパラオを空襲し駆逐艦3隻他を撃沈した(パラオ大空襲)。加えて飛行場に対する爆撃や周辺海域への機雷の敷設も行われた。ヤップとウルシー環礁は3月31日に、ウォレアイ環礁は4月1日に攻撃が行われた。この間、日本軍機による攻撃が行われたが、アメリカの艦船に損害はなかった。「インディアナポリス」はマジュロに到着後、「ニュージャージー」を含む第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)がホーランジアの戦いの支援のために分離されたため旗艦に復帰し、スプルーアンスはマリアナ諸島への侵攻作戦の打ち合わせのため、「インディアナポリス」とともに真珠湾に帰投した[22]。